大変久しぶり&今年は冷夏になるか?

気がついたら1年以上も長い間書込み空白になってしまっていた・・・。

今まで世界レベルでの景気の下落やら麻生内閣の批判やらいろいろ起こって、
自分個人としても仕事にしても自由時間の趣味にしてもいろいろありました。
そして最近特に気になるのは今年は8月に入っても未だに梅雨明けになっていないこと。
もしかしたら一部の間で言われているように久しぶりに冷夏になる可能性があるかもと
思っていたりしています。


今年は景気もどん底なら夏の暑さもどん底で、ここは余計に出しゃばるよりは
地道に一歩一歩進んで過ごすのがいいかもしれませんね。
もっともこういうときこそ人生での大きいチャンスも転がっていることもあるので、
どんな時でも希望を持って頑張っていきたいところですね。

久しぶりに恋愛教コラムを書く前に思ったこと

気がついたらブログ書込みなしの期間が続いてた・・・。

仕事とか遊びとかで忙しいこともあるけど、
何か書こうと思っても内容自体をまとめるのに
かなり時間がかかって先延ばしすることも何回もあったりします。

今回は久しぶりに恋愛教とか書こうとおもったんですが、
その前にこのテーマに関して話題になっている2chのスレに
ついてまとめておきます、
当スレを一応リンクしておきます。

恋愛至上主義にウンザリ7【恋愛真理教過干渉お断り】
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1201309088/

シリーズとして7スレまであります。
ただ、このスレシリーズで2スレ目から見ていますが、
最近はここの住人のほんの一部だけだと思いますが、
何だか普通に恋愛している人に対して調子に乗るなとか、
馬鹿にしたりしていて、どこか嫉妬しているような
ことが目立ってきてます。
それで、このスレ自体もどこか痛い所があると思う人も
出たりして、個人的にもこのスレの今後はやはり
怪しそうと感じるようになってます。

それはさておき、これらのスレを見て一つはっきりと思ったことは
今の日本の(欧米も同様か)恋愛(特に相手との結婚を前提でない)の多くは
結局趣味か自己満足の一つになってしまっていることだ。
そう思えば結局恋愛だのと必死に騒いでいるのは虚しく感じるのだろう。
ということで、以後恋愛教コラム書くときに、
このことも取り上げておこうと思います。

富士山初登頂&早朝御来光

梅雨明けがもうすぐ明けるこの時期ですが
21、22日の土日にようやく人生初の富士山登山行けました!

某サークルの仲間と車で一緒に五合目まで行き、
当日は雨の予報だったがうす曇り程度で
雨はほとんど降らずに思ったより苦せず登山できました。


登山での時間帯は5〜8合目までは11時〜18時で、
8合目小屋でカレー食べて19時〜深夜1時に就寝でした。


夜中1時に起きてそこから頂上に真っ暗な中で登るのは
大変そうでしたがその割りに御来光のために意外と
登山客で混んでて驚きでした。
でも富士山頂上で感動の朝日の瞬間を見たい気持ちが強くて
頂上まで元気よく登った後、小屋でココア1杯飲んで
寒い中で御来光の瞬間を携帯カメラで構え続けてましたw


その結果、富士山からの朝日の瞬間を実際にみたときは
それはもう感動中の感動ものでした!
やはり長い距離を登って待ち続けたことの苦労の後の
自然に対する感動は並大抵のものではないでしょう!
これで登山家の気持ちも多少はわかった気がしました。


人生でこんな経験ができたことには心から感謝に思ってます。
これからも少しでも多くの人が富士山登山をする機会が
できるようにと願ってます。

今の多くの若者がはまっている恋愛教とは

ようやく久しぶりに引き続き恋愛の話。


今度は恋愛教・セックス教がどのような問題を
引き起こしているかの話。
今は恋愛結婚が主流になっていることは前に書いた。
では、そのような状態が続くとどうなるのかと言えば、
恋愛が上手な人や恋愛経験豊富な人ほど希望の相手と
早く結婚しやすくなる。すると、その反対の恋愛に縁がない人や
恋愛下手な人は結婚の機会ができにくくなるのだ。
もはや結婚するには恋愛経験がないとダメだの負け組だのと
思う男女も多くなってしまった。
おかげで、勉強や仕事、サークル活動やその他趣味などに力を注いで
知らぬ間に恋愛を経験しなかった人は出会いが少ないなどの理由で
結婚が難しいと思うようになってしまって、それが未婚率の増加の
大きな原因の一つになっている。


さらには20代のうちに未婚だろうがセックスを経験していない
童貞処女があまりよく見られないという所までに至っている。
こうした恋愛・セックス観は日本に限らず先進国共通の問題に
なっているのだが、世界中でこうしたことが目立ってきたのは
戦後半世紀前からと最近のことなのだ。


では、今の恋愛教・セックス教がもたらす問題の被害者はというと、
単にモテなくて恋愛できない人だけでなく、モテ・非モテに関わらず
恋愛自体に興味関心が薄かったり、他のことで恋愛に注ぐ余裕が
無い人、つまり恋愛経験に縁が遠い人全体に及んでいる。
むしろモテ性質が強くて異性から恋愛を迫られやすくて
困惑している人もいるだろう。
僕自身も恋愛するとなってもなかなか興味がわかずに楽しめないし、
ただ余計に時間お金エネルギーを使ってしまうだけなので、
もし告白されてしまったら(多分可能性は低いと思うが)困惑してしまう
・・・というようなことは極力考えないようにしてはいるが。


まあ僕も女性とも友達関係ぐらいなら全然かまわないんだけどね。
ただ恋愛という付き合いには個人的には肌が合わないと感じてるだけ。


とにかく一番言いたいことは恋愛に興味なかろうが
(恋愛したくてもできないのとは違うよ)
童貞処女だろうが、周りの風潮に騙されることなく
そういう自分自身に自信を持って生きるべきだということだ。
むしろ俗に言うヤリチンヤリマンが恋愛性経験で自慢することの
ほうが本来恥じるべきものなのだ。
(もちろん○chのどこかの板で「非処女は○○」などと貶して
ばかりしている人も痛いが。)


早く童貞処女を捨てろだのセックス経験豊富にしろだのの風潮が
このまま続けば性倫理も崩壊しやすくなってしまう。
それが結婚後において結婚相手へのセックスに対する価値やら
性欲やらが薄くなってしまう可能性もあるのだ。
だから不倫も最近しているのだ。


・・・ということで、長くなってしまったが
続きは次回にしますね。


それより早くも花火大会楽しみです。記事テーマとは関係ないが。

トウミョウ水栽培楽しんでます

では久しぶりに恋愛教の続き・・・
は少し後にしといてと、(おいおい


それとは別にプライベートな趣味のことで
スーパーで買ったトウミョウを使った後で
種つき根の部分を1週間水栽培してみました。


なんと思ったよりもグングン伸びて今日には
収穫できるぐらいに成長しました。
ついでに一部分を刈り取って味噌汁に入れました。


ほんとに使用後の野菜を再び栽培できるとは
経済的だし、なんか楽しさも味わえますな。
どこまで何回栽培収穫できるかに挑戦中です。


トウミョウの水栽培方法については・・・
とりあえず「トウミョウ 水栽培」でググるのが
手っ取り早いです。(w

自分が今までに最もよく騙されたもの・・・それは恋愛・セックス教

詐欺とか騙りとかいろいろ遭って苦い思いしている人も
結構いて、大変気の毒に思うことだ。
僕自身もたまにそういう目にあったことはあるが、
その中で今までの人生で最も被害が大きかったものは・・・、
それは多額借金でも高額セールスでもない。
実は日本、いや世界各国でセレブから庶民までの大部分が騙されているもの、
それは・・・、
 恋愛教、セックス教だ!
日本では僕が生まれる前から恋愛、正確には自由恋愛というものが
若者世代中心に蔓延り出していった。
そして80年代ではすでに恋愛結婚が圧倒的に占めるようになり、
50年代まで主流だったお見合いは全体の1割を切ってしまった。
お見合いというものは言うまでもなく親同士やおばさんなどが
結婚相手を探して合わせるものであるが、そういう縛られた性質を敬遠してか、
しだいに恋愛男女交際の自由を求め、恋愛結婚が主流になっていった。
そこまではまだいいにしても、さらに行き過ぎて恋愛をしない人は
人としてダメだの恋愛は人生ですべきだのという思想が広まるように
なってしまった。
つまり人生に恋愛は至上価値だという「恋愛教」が
現代社会を支配してしまったのだ。


・・・と、ここまで偉そうに(?)語っている自分も
10代にはそういう恋愛至上主義にまんまと騙されていた。
もっとも自分からは告白して恋愛しようとしたことはなかったが、
やはり若いうちは恋愛もしなきゃなと思っていた。
それが20歳に入って学生時代のうちに自分は恋愛に興味はもてないし、
何か恋愛というものは宗教みたいで何かがあるのかと思うようになった。
そうして社会人になったときには恋愛至上教の洗脳から解放するに
至るようになってきた。


まあこんなことを書いていると中には恋愛できない僻みだとか
言う人もいるだろうが、僕自身はもともと恋愛に興味ないだけで、
別にモテようがそうでなかろうが恋愛にエネルギーを注ぐ
暇があったら仕事や趣味など(恋愛も趣味の一つと思うこともあるし)
他の有意義なことに打ち込みたいものだ。
もちろん女性と接することが嫌いとか苦手とかいうわけでもない。
とにかく恋愛に興味ない人に無理に恋愛しても幸福とか充実感とか
味わえるとは思えないし、ただ単に疲れるだけ。
本当に恋愛したい人だけが勝手にそうすればいいだけの話だ。


さて、今もなお社会全体を支配している恋愛教、セックス教が
今どんな問題を引き起こしているかについては
後ほど述べることにする。

いじめ容認派の詭弁には笑った!

ずっと長い間書き込み放置したままだけど(とっくに2007年になってるし…
最近またいじめ問題が話題になりましたね。
僕自身もそれにはかなり関心あるし、今回はとりあえず
いじめ問題について書いていくことにしていきます。

ずっと前からいじめ問題がよく言われているというのに
未だにいじめを容認する輩もぼちぼちいることには
驚きと呆れを越えてつい笑ってしまいました。
まあいずれにしてもよく言われるいじめ容認論は某chなどですでに論破されているけどね。
とりあえずいじめ容認派の主な主張とそれらの矛盾点をあげていきます。


「いじめられる奴がいじめを誘発させる性質があるからいけないんだ」
→たとえ相手がどんなに良くないところがあったとしても
 その相手をいじめること自体はいけない。
 いじめは相手や環境に関わらず一概に悪いことは言うまでもない常識。


「いじめは集団生活で必要な行動だ」
→ここで言う集団生活とどういうものか?
 相手が弱い、馬鹿だ、暗い、特異だという理由で一方的に
 排斥したり危害を加えたりすることを容認し、
 自分たちの集団と少しでも違ったり劣ったりする人を排斥するような
 集団は悪い集団であることに尽きる。
 良い集団生活とは皆が互いが持っている違いやずれなどをを認めて
 それを意識することなく共に力を合わせて行動することである。
 協調性とよく言われることもあるが、相手が一緒になりたいのに
 つまらない、嫌い、他の人とは違うだけで一方的にいじめるのも
 協調性でも何でもなく、単なる弱者異質者排斥主義にしかすぎない。
 というか協調性の意味を辞書などで引いてみればわかるだろう。


「いじめは人間の本能だから仕方ない」
→人間が他の動物と違うことの一つに何でもかんでも
 本能を発揮しっぱなしにするのはよくないことである。
 その本能を制御するために人間だけ持っている「理性」というものがある。
 本能至上主義では多く犯罪までも仕方ないという考え方になってしまうな…。


「いじめは人間の社会性を延ばしてくれる」
→いじめられたことが原因で社会性を失ってしまった人がどれだけいるのかな?
 対等なけんかならともかく、
 いじめはその人の将来の希望を台無しにしてしまう危険性のほうが高い。
 またいじめる側の人にとっては社会性どころか自身の快楽追求などの
 単なる自己中心性の助長にしかなりかねない。


「大人の世界ではもっと陰湿ないじめがよくあることだから」
→そういう現状がある大人社会自体が深刻な大問題であり、
 いじめを容認していいという言い訳にすらならない。
 (つまり、大人社会でのいじめも理由がどうあれ当然容認すべきでない。)
 またそれだと大人社会には犯罪が多いから少年犯罪も仕方ないと
 いうことになってしまうぞ…。
 子供時代にいじめを容認してしまうと大人社会でのいじめも
 正当化してしまう危険性もある。


「いじめをなくすのは無理」
→前のと同じく犯罪だってなくすのが無理だと言われてるのに
 悪いことには変わりはないことを考えると
 これも言い訳にはならない。


要するにいじめを容認することは万引き、痴漢などの犯罪を
容認することと同じ理屈なのだ。
いじめを万引き、痴漢などに置き換えれば正常な人は
これで納得がいくだろう。

少し前まではいじめ容認論とか主張してるサイトブログもぼちぼち見かけたけど、
最近はなぜかググッてもほとんどないのでホッとしました。

まあいずれにしても小中高生のいじめられっ子の皆さんは
くれぐれもいじめっ子とかからのこういった詭弁に惑わされずに
先生・親にもこっそりと相談したりして毎日を生き抜いて欲しいものです。
言うまでもなく自殺などは何歩譲ってもせぬように。

最後ですが、いじめ問題においてはやはりいじめそのものの定義も
はっきりさせるおきたいもの。
とりあえず僕が定義づけるとすれば、

「何の罪もない相手に対して快楽やストレス発散などの目的で
 意識的に苦痛や危害を与えること。」

であると思います。