いじめ容認派の詭弁には笑った!

ずっと長い間書き込み放置したままだけど(とっくに2007年になってるし…
最近またいじめ問題が話題になりましたね。
僕自身もそれにはかなり関心あるし、今回はとりあえず
いじめ問題について書いていくことにしていきます。

ずっと前からいじめ問題がよく言われているというのに
未だにいじめを容認する輩もぼちぼちいることには
驚きと呆れを越えてつい笑ってしまいました。
まあいずれにしてもよく言われるいじめ容認論は某chなどですでに論破されているけどね。
とりあえずいじめ容認派の主な主張とそれらの矛盾点をあげていきます。


「いじめられる奴がいじめを誘発させる性質があるからいけないんだ」
→たとえ相手がどんなに良くないところがあったとしても
 その相手をいじめること自体はいけない。
 いじめは相手や環境に関わらず一概に悪いことは言うまでもない常識。


「いじめは集団生活で必要な行動だ」
→ここで言う集団生活とどういうものか?
 相手が弱い、馬鹿だ、暗い、特異だという理由で一方的に
 排斥したり危害を加えたりすることを容認し、
 自分たちの集団と少しでも違ったり劣ったりする人を排斥するような
 集団は悪い集団であることに尽きる。
 良い集団生活とは皆が互いが持っている違いやずれなどをを認めて
 それを意識することなく共に力を合わせて行動することである。
 協調性とよく言われることもあるが、相手が一緒になりたいのに
 つまらない、嫌い、他の人とは違うだけで一方的にいじめるのも
 協調性でも何でもなく、単なる弱者異質者排斥主義にしかすぎない。
 というか協調性の意味を辞書などで引いてみればわかるだろう。


「いじめは人間の本能だから仕方ない」
→人間が他の動物と違うことの一つに何でもかんでも
 本能を発揮しっぱなしにするのはよくないことである。
 その本能を制御するために人間だけ持っている「理性」というものがある。
 本能至上主義では多く犯罪までも仕方ないという考え方になってしまうな…。


「いじめは人間の社会性を延ばしてくれる」
→いじめられたことが原因で社会性を失ってしまった人がどれだけいるのかな?
 対等なけんかならともかく、
 いじめはその人の将来の希望を台無しにしてしまう危険性のほうが高い。
 またいじめる側の人にとっては社会性どころか自身の快楽追求などの
 単なる自己中心性の助長にしかなりかねない。


「大人の世界ではもっと陰湿ないじめがよくあることだから」
→そういう現状がある大人社会自体が深刻な大問題であり、
 いじめを容認していいという言い訳にすらならない。
 (つまり、大人社会でのいじめも理由がどうあれ当然容認すべきでない。)
 またそれだと大人社会には犯罪が多いから少年犯罪も仕方ないと
 いうことになってしまうぞ…。
 子供時代にいじめを容認してしまうと大人社会でのいじめも
 正当化してしまう危険性もある。


「いじめをなくすのは無理」
→前のと同じく犯罪だってなくすのが無理だと言われてるのに
 悪いことには変わりはないことを考えると
 これも言い訳にはならない。


要するにいじめを容認することは万引き、痴漢などの犯罪を
容認することと同じ理屈なのだ。
いじめを万引き、痴漢などに置き換えれば正常な人は
これで納得がいくだろう。

少し前まではいじめ容認論とか主張してるサイトブログもぼちぼち見かけたけど、
最近はなぜかググッてもほとんどないのでホッとしました。

まあいずれにしても小中高生のいじめられっ子の皆さんは
くれぐれもいじめっ子とかからのこういった詭弁に惑わされずに
先生・親にもこっそりと相談したりして毎日を生き抜いて欲しいものです。
言うまでもなく自殺などは何歩譲ってもせぬように。

最後ですが、いじめ問題においてはやはりいじめそのものの定義も
はっきりさせるおきたいもの。
とりあえず僕が定義づけるとすれば、

「何の罪もない相手に対して快楽やストレス発散などの目的で
 意識的に苦痛や危害を与えること。」

であると思います。